武藤資頼は一の谷の合戦後に源頼朝の御家人になり、大友能直とともに鎮西奉行となりました。1226年、大宰少弐となり、次の武藤資能から少弐氏を名乗るようになります。蒙古襲来に備えて九州に下向、文永の役・弘安の役では鎌倉武士団を率いて戦いました。霜月合戦の余波で起こった岩門合戦で少弐経資・景資兄弟が戦い、景資の所領は恩賞として九州御家人たちに分配されてしまいます。また、1293年、鎮西奉行が廃止されて鎮西探題が設置され、北条得宗家の支配が強化されました。こうした状況のもとで、少弐氏は後醍醐天皇の挙兵を迎えます。
#戦国大名家の歴史 #社会人のための日本史 #解説は秦野裕介立命館大学授業担当講師
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